弁慶は五条の天神へ毎晩午前二時頃に参拝し今夜は満願の日となりました。弁慶の従者は十二、三才の少年が五条の橋の近くで通行人を小太刀で斬って廻っているといううわさを聞き参拝をとめる様にいいましたが弁慶ほどの者が話しをきいて逃げたといわれては無念と曲者を退治しようと思い夜を待った。牛若丸は鞍馬の寺へ上る名残りに五条の橋へ出て月を待ち川をながめ通る人々をおしんで居りました。その時、鎧姿の弁慶が大長刀を持って立ちふさいだので牛若丸はすれ違いざまに長刀の柄元をけり、弁慶がひるむすきに攻めそして守るという変転自在の技についに弁慶は降参し名をたずねました。「我は源の牛若」であると云うと弁慶は「義朝の御子」かとさとり自分も名をなのり牛若丸を主人とちかい牛若丸の宿所の九条の館へ伴をして行く物語りです。
この場面は五条の橋の上の一瞬の出来事であります。
この場面は五条の橋の上の一瞬の出来事であります。