11代247年にわたり、新庄藩を治めた
元和8年(1622)、山形最上家の改易に伴って、常州松岡の戸澤政盛がその遺領のうち、最上郡一円と村山郡の一部の6万石(寛永2年、6万8200石)を領することになりました。
同氏は以後明治2年(1869)の版籍奉還まで、11代247年にわたりこの地を治めました。
慶応4年(1868)年7月の戊辰戦争により、新庄城は城下もろとも炎上落城しました。
その後新庄城の復活を図ったものの、11代正實は明治2年(1869)版籍奉還を願い出、ここに新庄藩政は幕を閉じました。