天下取りの野望に燃える武田信玄は、上杉謙信との十一年にわたる川中島の戦いに時間を費やしましたが、ついに天下を取ることはできませんでした。信玄は智謀にたけた戦略家であるのに対して謙信は気性の激しい天才的な武将といわれ、龍虎相撃つ四度目の川中島の合戦は大激戦となりました。
永禄四年(一五六一年)、信玄と謙信の大軍団が千曲川をはさんで対陣しました。信玄はキツツキ戦法と呼ばれるはさみうち作戦をしようとしましたが、それをあらかじめ知った謙信が信玄の本陣を急襲し武田軍は苦戦を強いられます。しかし、それを知った側面攻撃隊が急いで引き返してからは形勢が逆転し、上杉軍が敗走し戦いが終わりました。
信玄が謙信と一騎打ちをしたといわれるのがこの戦いであり、両軍合わせての死者は五千を超えたといわれる大激戦でありました。