天正十年六月二日(一五八二年)早暁、京の町はときならぬ軍馬の響きと閧の声につつまれた。水色桔梗の旗印、明智光秀の謀反でる。森蘭丸からの伝えに本能寺宿営の織田信長は、その癖である首をかしげ、「是非に及ばず」の一語をつぶやくのみであった。信長は弓をとり高欄に立ち出て、二矢三矢と射放ち、弾みきったその筋肉を動かしながら十文字の槍で奮戦したが、二百人では明智勢一万三千に抗するすべかなかった。
信長は時に四十八歳、自刃して果てた。
人間五十年、化転のうちにくらぶれば
夢まぼろしのごとくなり。
この信長の死よりもわずか以前に、その夫人濃姫は二重に鉢巻を結び、花模様を染めた小袖に花田色の襷をかけ、白柄の薙刀をとり広庭で戦ううちに、明智方の山本三右衛門の槍にかかって崩れ、そのまま果てたのである。
本能寺奮戦の場を、とくとご覧下さい。
信長は時に四十八歳、自刃して果てた。
人間五十年、化転のうちにくらぶれば
夢まぼろしのごとくなり。
この信長の死よりもわずか以前に、その夫人濃姫は二重に鉢巻を結び、花模様を染めた小袖に花田色の襷をかけ、白柄の薙刀をとり広庭で戦ううちに、明智方の山本三右衛門の槍にかかって崩れ、そのまま果てたのである。
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