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風流 伊達政宗
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昭和44年
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風流 伊達政宗
昭和
44
年
11番運行
物語部門
風流
伊達政宗
新庄ヘルスセンター
囃子:
不明
伊達藤次郎政宗(幼名、梵天丸)は、生れながらに体が弱く又醜く、物言うことも歩くことも大変おそかった。父輝宗、母義姫は、次男の竺丸に世嗣をさせようとした。乳母の喜多は、梵天丸をあわれに思い。城より小一里もある山寺の龍雲寺住職、茲眼和尚と相談し、寺の背后の毘沙門天へ参篭する。そして、梵天丸の成長を願い、七日間の断食と水ごう離を続けた。満願の日に、喜多の弟、片倉小十郎につれられた梵天丸が、毘沙門天、倶羅尊像の威力たくましい仏顔を見つみて「あんなにこわそうでも仏か」と言ったのが初めての言葉であった。
時に永祿十五年正月、政宗五才の年であった。
昭和44年
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