元禄十四年三月十四日、赤穂藩主浅野内匠頭が松の廊下において吉良上野介に刀傷を仕掛けました。
これがために謹慎間もなく即日所領召上げ、身は切腹、しかし上野介には咎なしとする喧嘩両成敗に相反する裁きに、大石内蔵助以下義士等は納得せず、御家再興を計りながら約一年九ヶ月の月日を要し、仇討の手筈を整えていきます。
そして元禄十五年十二月十四日、主君の仇を討つべく、赤穂浪士たちが本所松坂町吉良邸に討ち入りました。
寝込みを襲われた吉良邸の武士たちは敵わず、とうとう隠れていた吉良上野介を見つけ出すと、その首を討ち取りました。