桓武天皇は784年に長岡京を造営するが、天災や近親者の不幸・祟りが次々に起こり、無念の死を遂げるものが後を絶たなかった。その原因が天皇に徳がないためであり、天子の資格がないと民衆に判断されることを恐れた。
中国に伝わる「四神相応の地」という、北の山に玄武・南の池に朱雀・東の大河に青龍・西の道に白虎と各方角に守り神があり、これに合った土地は栄えるという思想がある。この思想のもと794年に現在の京都の地に平安京を定め鬼門封じや寺社を数多く配置した。しかし、都を定めた後も無念の死を遂げて怨霊と化す者は絶えず、朝廷は陰陽師を使って怨霊や妖怪から都を守っていくことになった。
平安京に遷都してから150年、早良親王は兄の桓武天皇に恨みがあり都を滅ぼそうと早良親王の霊は道尊の体の中に入り、他の悪霊をも引き連れて都を襲撃した。安倍晴明は占術により早良親王の怨霊を鎮めることに成功し、道尊を結界に封じ込め力を奪い、観念した道尊は自ら命を絶つ場面である。