天正4年、天下をめざす織田信長と、一向一揆の本拠地である石山本願寺顕如との戦闘が勃発します。石山本願寺付近の海上を封鎖し、兵糧攻めを行っていた信長ですが、顕如の呼びかけに応じた毛利水軍と村上水軍の焙烙火矢の攻撃の前に大敗し、兵糧の補給を許してしまいます。屈辱を晴らすべく信長は、九鬼嘉隆に命じて、大砲・大鉄砲を装備し、焙烙火矢がきかない鉄甲船六隻を建造させます。その大きさは、当時としては空前の巨大さと防御力を持っていたといわれています。
そして天正六年、毛利・村上水軍六百隻の大船団に対し、九鬼嘉隆率いる六隻の鉄甲船と滝川一益大和一隻との海戦が始まります。焙烙火矢がきかない六隻の鉄甲船は、敵船を引きつけ、大将が乗っていると思われる船を大砲・大鉄砲で集中攻撃を行い、ついに毛利・村上水軍を撃退しました。
そして二年後、顕如は降伏し、石山本願寺は織田信長に明け渡されることとなります。