中国四千年の歴史の中でもっとも激動の時代と言われる、今から千八百年前の出来事、時の後漢王朝も寿命が尽きて、その後に黄巾族と呼ばれる宗教結社が反乱をおこしていた。それを鎮圧するために力を蓄えていた地方の実力者たちによって黄巾族は鎮圧されるが、その結果、地方の実力者はますます力を伸ばしてきた。そのような状況下、最も力をつけたのか北部地域の魏の曹操盂徳軍であった。一方東南部揚州を中心とする地域を固め、大いなる船団を持つ呉の孫権仲謀軍であった。もう一人有能な部下をと人望を持つ劉備玄徳軍である。曹操軍は天下統一をかかげて南下して呉に攻めて来た。その時、孫権軍と劉備車が手を組み、東南の風にのって曹操軍の船団に近づき、火矢を射かけた。火は船を焼きつくし、陸の陣までも炎上させた。戦いを歴史にのこる、赤壁の戦い、である。