風流 野崎観音の由来

5番運行
物語部門

風流野崎観音の由来

上金沢町若連囃子:仁間囃子若連

解説

平安時代の武将、佐藤信清は、武士を嫌って出家し「西行」と名乗り和歌を藤原定家に習い諸国修業に出る。江口の里へ来かかると時雨に合い一軒家に立ち寄り雨宿りを頼む。この家は「たえの君」と言う遊女の家であったが快く承知し、あついもてなしを受け夜もすがら和歌の話等し別れを惜しみながら立ち去る。
幾年が過ぎたある夜「西行」の枕元に白像に乗った普賢菩薩が現れ、私はあの夜別れた「たえの君」である。私はこれから菩薩の許へ参りますと言ってすーっと消えてしまった。不思議に思った「西行」は江口の里へ来て見ると元の家は荒れ果て一体の立像があるのみでした。
「西行」はこの地江口の里、のちの野崎村に寺院を建立し、この普賢菩薩を祭った。これが今の野崎観音の由来である。
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