筑前小早川家の家臣岩見重太郎は、当時名だたる剣豪だった。重太郎は、より剣を磨くため、国を出て武者修業の旅に出かけた。当時の剣豪後藤又兵衛、塙団衛門の三人が義兄弟の契りを結んだのもこの頃だったという。旅の途中美濃の国にさしかかった時、城下に、「武芸者求む」の立札があった。近くの村で、白羽の矢を立てられた家の娘を山神に人身御供をしなければ田畑を荒らされ困っているというのである。重太郎の名声を聞き知っていた城主川尻直次は重太郎を城内に呼び武具を用意するから山神を退治してくれとたのんだ。娘の代わりに山神の祠に行き、見るも恐ろしい怪物「ヒヒ」を見事退治した。後年、薄田兼相となった重太郎は元和元年大阪夏の陣で義兄弟の後藤又兵衛、塙団衛門ともども戦火の露と消えた。御存知岩見重太郎の武勇伝の一つ「ヒヒ退治」を山車風に趣向したものです。