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風流 会津・白虎隊
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昭和62年
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風流 会津・白虎隊
昭和
62
年
2番運行
物語部門
風流
会津・白虎隊
落合町若連
囃子:
萩野囃子若連
慶応末期、鳥羽、伏見の戦いで敗れた幕軍は江戸城を明け渡した勢いにのり官軍は奥羽討伐に向かう奥羽会津の将松平容保は国境を固め、市中見廻りに少年隊を組織、「白虎隊」と命名、市中警護に当たらせた。戦況が悪化し白虎隊出動の命下り、滝ノ沢口警護に当る。官軍は次々と城塁を落し、白虎隊の滝ノ沢口に攻勢する多勢に無勢、しかも近代兵器の矛には勝てず、大半戦死。農業水路の洞穴を通り飯盛山に集結した時は十九名だった。時ずでにおそく、眼下の鶴ケ城一帯は火の海と化していた。白虎隊は「これまで」と自決した。その十六日後に明治元年となる。
昭和62年
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