京都の五条の橋に毎夜雲突く計かりの大入道が現われ、何の遺恨か武士と見れば刃を取り上げ拒ばめば斬り捨てるとの風評が京童の口に伝えられ昼の雑踏に比べ夜は森閉として誰一人通行する者もない。大入道は今宵も忽然と姿を現し鴨の流れに映る十五夜の月を欄干にもたれて眺めている折、黒塗りの下駄を穿いた稚児姿の少年が笛を吹きながら橋に差しかかり、入道が立て掛けた薙刀を蹴飛ばした。これを見た入道烈火の如く憤り薙刀を取つて斬りかかれば少年は飛鳥の如き早業を以つて遂に入道を降服せしめた。そこで入道恐れ入つて「御高名承りたし、吾こそは武蔵坊弁慶と申す荒法師なり、心願ありて千日の大力を手に入れんと毎夜此処に現われ今宵は満願に当り今一口のところで此の不覚」と双手をつき平伏すれば少年は「われは左馬頭義朝が九男牛若丸」と名乗る。弁慶驚き且つ悦び、牛若丸(後の義経)と主従の誓いを立てて以後影の形に添う如く献身義経の為めに仕えた。