これは菊地寛の歴史小説中の傑作の一つで、僧禅海その俗名福原市九郎は主人中川四郎兵工を刃にかけ絶えず追手の幻影になやみ諸国を流れ、やがて一念発起仏弟子となり九州にやつて来た。巨大な岩塊のそそりあう耶馬渓の険路に立ち目前に見たものは一本の鉄鎖、その鎖を便りに村から村へ命をさらしての通路、それを見た時禅海はせめて罪ほろぼしに洞門をうがち諸人の難儀を救うとこの大事業と思いたちその日から一本のノミと槌をもつて岩をうがち始めた。そのころ中川の一子実之助は父の仇を討とうと諸国を巡歴してさしかかつたのはこの耶馬渓、実之助は心いさんで父の仇を……と、禅海に立ちむかつたが禅海は「この洞門の貫通するまで何とぞ待つてはくれぬものか……」と二十余年の歳月を貫きとおして来た志を実之助に訴えた。
禅海の献身的な悲壮な姿を目のあたりにして以来その気高さにうたれ彼の偉業に協力を借しまなくなり実之助には復讐の心は消え失せ、ついにこの難行の終つた暗恩讐を越えて喜び合うのである。
禅海の献身的な悲壮な姿を目のあたりにして以来その気高さにうたれ彼の偉業に協力を借しまなくなり実之助には復讐の心は消え失せ、ついにこの難行の終つた暗恩讐を越えて喜び合うのである。