元禄十四年三月十四日、赤穂藩主浅野内匠頭が殿中松の廊下において吉良上野介に刃傷を仕掛け、これがため即日切腹、城地を没収された。浅野家再興の望みが絶たれ吉良を討つべく、大石内蔵助ら浪士達は、吉良邸を探った。十五年十二月十四日(十五日早暁)前日降り積もった雪の中、大石内蔵助、堀部安兵衛、弥兵衛、不破数左衛門、富森助右衛門ら赤穂藩浪士四七名が本所松坂町吉良邸に討ち入った。吉良家では、討入りを警戒し上杉家からも多くの剣客が護衛にあたった。小林平八郎、山吉新八郎、鳥居理右衛門、清水一学、新貝弥七郎ら吉良の付け人達は寝込みを襲われ、十分な準備も出来ずに応戦、いずれも勇戦の痕を留めて刀槍矢瘡を負い多数が死亡。吉良は、赤穂浪士に討ち取られた。