建久三年、源頼朝は平家との長い戦いに終止符を打ち鎌倉に幕府を開き、武家政治六百年の基礎を作った。翌四年春頼朝は将士を率いて富士の裾野に於いて大巻狩を行った。林の中から突然何十年も経ったと思われる大きな猪が牙をむき砂塵をまき上げて猛進してきた。近くに頼朝が愛馬にのって狩りをしていたので、あわてて家来が猪を倒そうとしたがかなわず一人、二人と倒された。猪が頼朝の目の前に来た時、豪胆を以って音に聞えし仁田四郎忠常が現れ、駆け寄りざまに暴れ狂う猪に、ヒラリと飛び乗り腰の一刀を引き抜き胴中に突き立てた。長い死闘の末さすが狂暴なる猪も勇壮果敢な忠常に、ついにたおされたのであった。この後、仁田四郎忠常は頼朝からその功を認められて以後重く用いられたのであります。