平蔵は煙管の吸い口を見つめ『人も同じ、身分は違えども煙草の銘柄ほどのもの。最後は煙に変じて灰になる』と正義と悪の境の難しさ、命の儚さを憂いていた。
安永二年、新庄藩火消頭取「松永源吾」のもとに京都西町奉行「長谷川平蔵宣雄」から、力を貸してほしいと文が届き「星十郎」「武蔵」と共に京へ向かった。
京では人が突然燃える事件が度々起こり「火車」と呼ばれ恐れられていた。源吾達は人々の不安を無くすため、火車の正体を調べることとなる。
火車は恐らく衹園祭に仕掛けてくる。源吾は国元である新庄の祭も、数百年の時を経て見事な山鉾が町々を巡る衹園祭のようになるのかと思いを馳せつつ、火車を喰うため仲間と共に京の町を駆け抜ける。
新庄藩火消羽州ぼろ鳶組の活躍をご覧ください。