西暦一一八三年、兄頼朝に追われて奥州平泉に逃げる源義経一行は、最上川を舟で合海より、猿羽根村近くに行き、葉山をまわり毒沢方面へと登り折渡付近で舟に乗って川を渡るつもりだったが、舟がなく川を背負って渡ったのでした。 義経一行は、舟形より平沢川ぞいに登り、長沢から最上町の方へぬけるつもりだったが、「一の関」という所があるのを聞いて、関所だと面倒なので、舟形村より小国川を越えて、地獄道と言われる抜け道を通り鳥越より新田川ぞいに休場まで行き、亀割峠を越えて瀬見に出たと言う。