平安時代中期、豪傑と知られた俵藤太は琵琶湖に住むといわれる龍神族の乙姫に近江三上山に棲む大百足の退治を懇願された。これを快諾した藤田は強矢を携えて三上山に向かいました。そこには山を八巻きもするほどの大百足が待ち構えていました。藤田は弓で大百足を射ますが跳ね返されてしまいます。最後の矢に「南無八幡大菩薩」と祈りを込めて鏃につばを吐き、眉間を狙って力いっぱい放ち見事大百足を討ち倒したのでありました。後に藤田は龍神の助言で平将門をも討ち取り武功を上げるのであった。