平安の乱で勝利した平家は、栄耀すさまじく一門は公卿殿上人に列し、諸国の受領その半ばを独占、ついには「平家に非ずんば人に非ず」とうそぶかれていました。
鞍馬の寺に預けられていた牛若丸は、遮那王と名付けられ、大天狗と鳥天狗を相手に、毎日修行に励み武術を極め、源氏の再興と平家の討伐を志しておりました。
同じころ、京の都では弁慶が千本目の太刀を奪おうと、五条の橋で次の相手を待っていました。すると眩しい光が差し、いつの間にか橋の欄干に少年が笛を吹き、立ち塞がると、次の瞬間には鳥のように羽ばたきました。遮那王は、弁慶の凄まじい攻撃をものともせず、宙を舞い扇を投げつけ、かわし続けました。力尽きた弁慶は降参し、忠義を誓うのでした。
その後、自ら髪を切って元服した遮那王は、源九郎義経と名乗り、ただ一人の家来、武蔵坊弁慶とともに、「万里鵬翼」遠く隔たった地へ旅立つのでありました。