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風流 本能寺
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昭和58年
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風流 本能寺
昭和
58
年
11番運行
物語部門
風流
本能寺
常仲町若連
囃子:
升形若連
海内平定の大偉業が殆んど完成するころ、病気が因で信長は遂に家来に誅されるに至った。
それは信長は晩年、光秀を疑い、領地を召し上げて中國征伐を命じた。光秀は中國征伐と称し兵一萬余を卒い「敵は本能寺にあり」とて本能寺を幾重にも取囲んだ。其の時信長は只ならぬ人馬の音にガバと床を起き欄丸を呼び憎むべき光秀を討てと命じ信長も亦一矢報いて腹切らんと自から敵数名を斃し自害せんと奥に入りたる処へ光秀の三羽烏、安田作兵エ、障子に映る信艮に跳りかからんとする刹那、森蘭丸槍をしごき鋭き槍先に作兵エ危しと見えたが、遂に討ち取られ信長以下皆自刃せし場面。
昭和58年
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