風流 森蘭丸奮戦の場

13番運行
物語部門

風流森蘭丸奮戦の場

北町若連囃子:萩野囃子若連

解説

織田信長は、毛利氏と対戦していた羽柴秀吉の求援により、明智光秀以下に出陣を命じ、自らも赴援すべく京都四条本能寺を宿所とした。
天正十(一五八二)年六月二日未明、ときならぬどよめきに、目ざとい信長は襖ごしに「蘭丸あれは何ぞ」蘭丸「されば物見に」の一声を残し、廊下を駆け抜け高欄より、水色桔梗の旗印、境内に満つるを知る。
「謀反でござりまする」「惟任光秀に候」との蘭丸の報せに、信長はそのくせである首をかしげ「是非に及ばず」の一言をつぶやくのみであった。
織田信長は、森蘭丸以下近臣八十余名と必死の防戦を試みたが、光秀率いる鉄甲の人馬一万三千余には抗するすべがなかった。
森蘭丸は、信長に仕え小姓となって籠愛されたが、本能寺で弟の坊丸・力丸とともに、信長の側近にあって戦死をした。
此の場面は、明智方の三羽鴉と呼ばれた中の一人、安田作兵衛國次と渾心の力で奮戦をする森蘭丸(十八歳)の勇姿であります。
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