先の大阪冬の陣講和後、謀略により濠を埋められた豊臣軍。家康の大軍に迫られて不滅と言われた大阪城は落城寸前に。時の将軍秀忠の娘で今は右大臣秀頼の正室である千姫は、混乱に紛れて救い出され、その一方、戦火、淀の方とその子秀頼は、命運尽きて豊臣家の滅亡を覚悟したという場面である。「淀殿は、少女の頃から城主の家族として二度も落城を経験した。それは地獄というような生易しいものではない。最初の時は城が燃え、実父が自殺をし、首になり、その髑髏は漆で加工され酒器になった。無数の人々が城の柱や床を血で染め上げて死に、まだ幼かった弟が敵の手に捕らえられ串刺しにされた。二度目の落城の時は、義父と実母が本丸に自ら火薬を仕掛け、城を焼いてその火の中で死んだ。というような、それほどまでに恐ろしい経験を思春期までにさせられた女性など、どの国にいるだろうか」と、かの司馬遼太郎も書き記している。少女が母となり授かった子供は、天下の豊臣という途方もない重荷を幼くして受けた。そんな我が子にかけた最期の言葉は如何なるものだったのだろうか・・・。