常保元年、修法の効験でで知られた頼豪に皇子降誕の祈祷の勅命が下ります。祈祷の験あって皇子が誕生した事で、頼豪は天皇に戒壇建立を請いましたが、比叡山の訴えにより願いは叶いませんでした。頼豪は持仏堂に籠り、食を絶ってしまいました。白河天皇の命により、頼豪に仏道の師と仰ぐ大江匡房を使し宥めるよう申しつけますが、頼豪は天皇を恨みながら餓死してしまいます。その後、皇子も幼くして亡くなってしまいます。これは頼豪の怨霊の仕業ではないかと囁かれ始めた頃、頼豪の怨霊は比叡山憎しとばかりに大鼠と化し、経典を食い荒らしてしまいます。その事態に延暦寺の高僧、大徳和尚は法力により大猫となり大鼠を食い殺し収まったと言われます。