十二支の墓は、中国秦の時代、十二生肖として考えられ、それが日本に伝わり紀年や人の生年を表す十干十二支の話として広まりました。それがみんなが知っている「十二支の始まり」の話です。お釈迦様が「動物達よ、元日の朝集まりなさい。一番早く来たものから十二番目までのものを順にその年の守り神(干支)としよう」と。動物達は元日の日の出とともにお釈迦様の元へ出発しました。子は先頭を歩いていた牛の背中に乗り、もう少しの所で飛び降り一番に、牛が二番になりました。その後は、寅、卯、辰、巳、午、未、申、酉、戌、亥の順にお釈迦様の元に辿り着き守り神(干支)となりました。