風流 鎮西八郎為朝奮戦の場

1番運行
物語部門

風流鎮西八郎為朝奮戦の場

落合町若連囃子:萩野囃子若連

解説

世は院政をしている鳥羽法皇方とそれに不満を持つ崇徳上皇方に別れて争うことになり、関白藤原忠実の二子忠通、頼長は仲が悪く、為朝の父為義は子供六人を率いて上皇方の頼長についた。一方後白河天皇方には為義の長男の義朝らが従った。時に義朝十八才の折であった。七月十日の作戦会議の時に為朝は夜討ちを進言したが、戦いは堂々ととの反対にあい、その結末は悲運をたどるごとになる。天皇万は軍議の末に奇襲作戦に決して先制攻撃をかけてきた。義朝がせめてきたが、義朝の兜の星を削って寺の扉につきささった義朝は「このわしを射損じるとは日頃の広言に似合わぬ腕前ではないかと嘲笑した。為朝は怒って「兄と思えばこそわざとはずしたのださればいま一矢参らせよう」と二の矢を放った。このとき、とっさに義朝の郎党が矢面に立ちふさがって射倒され義朝は危うく命びろいをしたのであった。
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