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風流 岩見重太郎
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昭和45年
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風流 岩見重太郎
昭和
45
年
5番運行
物語部門
風流
岩見重太郎
新栄町若連
囃子:
不明
伝えていうに豊臣家滅亡の頃勇名をはせた。蒲田隼人は前名岩見重太郎といった。重太郎は修業のため諸国漫遊中美濃国に来た時のこと庄屋に一夜の宿を求めたが只ならぬ騒ぎを察しその理由を開くと、「毎年白羽の矢を立てられた家の末娘を山神に人身御供をしなければ家や田畑を荒され収穫がなくなり生活ができなくなるという」重太郎は人々を悲しませる神はないといって、庄屋の娘のみがわりとなり輿に入り村人にかつがれ山神の祠の前に据られた山神とは見るも恐しい猪狒であった重太郎は悪戯苦斗して狒狒を退治し村に平和をもたらした。武勇伝を飾りつけたものである。
昭和45年
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