元弘二年、北條高時のため後醍醐天皇は隠岐の島へ流される。のち島を逃れ出た天皇は河内の国楠正成を召し出して北條父子を討てと宣旨を下します。正成は仰せをうけ諸国の武士に宣旨を伝えました。此の時、相模の国、新田の庄のあるじ新田義貞は我子義興と共に一族郎党を引具し、鎌倉の北條父子を討つべく稲村ヶ崎まで来りしが海は満潮にして浜辺づたいに攻め入る事かなわず、しばし思案にくれいしが何思いけん、かたの従者にもたせてありし黄金造りの太刀を取り「やよ、八大竜王、よく聞け、我はこれより帝の仰せをこうむり逆賊北條を討ち取るべく鎌倉へ向うなり。早々道を開かさせたまえ」と海中に太刀を投じた。不思議や海はたちまち干潮となり、すかさず義貞は「進めや者共、攻め入る時は今なるぞ」と無二無慚に鎌倉をさして攻め入ります。