果てしなく続くと思われた源氏の戦いは、壇ノ浦の地で終わりを迎えます。
海戦が得意な平家軍は、関門海峡の激しい潮の流れに乗って、源氏軍に矢の雨を浴びせます。
追い込まれた源義経は戦の作法に反して、平家の軍船の水子・梶取を弓で射るよう命じます。源氏軍は、漕ぎ手を失い身動きが取れなくなった平家軍の舟に飛び移り、斬りかかりました。これにより源氏軍を勢いを取り戻し、形勢は逆転しました。
敗北を悟った平知盛は掟を担ぎ、平教経は源氏軍を道連れに海の藻屑と消えました。
二位の尼も死を決意し、三種の神器を携え「波の下にも都はございます」と安徳帝を抱きかかえ海に身を投じました。平家一門もそれに続き、ついに平家は滅亡したのでした。