風流 黄金の茶室

12番運行
物語部門

風流黄金の茶室

常仲町若連囃子:升形若連

解説

 豊臣秀吉によって作られた黄金の茶室は、壁・天井・柱・障子の腰、さらには茶道具まで、すべて金張りにした茶室でした。広さは三畳ほどで、容易に運搬可能な組み立て式になっていました。秀吉が関白に就任した翌年の天正十四年(一五八六年)年頭の参内の際に御所に運び込まれ、正親町天皇に披露されました。その黄金の茶室は普段は大阪城内に置かれ、茶会を好んだ秀吉は天下一の茶人、千利休を指南役として数々の有力者を呼んでは茶会を催し、皆を驚かせて自慢していたといいます。本山車は、天正十八年、小田原征伐の直後、北条氏の後に関八州を任される徳川家康を主賓として、新たに臣従した伊達政宗と共に招いた場面であります。

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