風流 四天王寺縁起

4番運行
物語部門

風流四天王寺縁起

上茶屋町若連囃子:松本囃子若連

解説

 用明天皇二年(五八七年)、かねてより対立していた崇仏派の蘇我氏と排仏派の物部氏の間で戦が起こりました。蘇我氏は物部氏の本拠地であった河内国渋河へ攻め込みましたが、敵の物部守屋は稲城を築き、矢を放って防戦します。そのため、蘇我氏は度々退却を余儀なくされました。蘇我氏の軍の後方でこの戦況を見ていた聖徳太子こと厩戸皇子(当時十四歳)は、白膠木という木で四天王の形を作り、「もしこの戦に勝利したなら、必ずや四天王を安置する寺塔を建てる」という誓願をしました。その甲斐あって、味方の矢が敵の物部守屋に命中し、戦いは崇仏派の蘇我氏の勝利に終わりました。その六年後、推古天皇元年(五九三年)、聖徳太子は、摂津難破で誓願どおり四天王寺の建立に取りかかったということです。

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