兄頼朝に追われて奥州に落ち延びようとする源義経主従は、山伏の一行に姿を変え、頼朝の命により設けられた加賀国の安宅の新関(石川県小松市)にさしかかります。関守として富樫左衛門家直と斉藤次祐家が警備しており、斉藤次祐家が厳しく取り調べている時、一行から遅れていた武蔵坊弁慶が駆けつけます。弁慶は山伏の証拠として勧進帳を読み上げますが、斉藤次祐家は山伏らしくない義経の優姿をあやしむので、弁慶はわざと義経を打って疑いを解きます。斉藤次祐家はなおも弁慶に縄をうちますが、他の一行は、弁慶の苦衷に心打たれた富樫左衛門家直のはからいで通行証をもらって関を通過します。一人残った弁慶は時刻を見はからって縄を切り番卒たちの首を引き抜いて大暴れをしたのち、その首を巨大な天水桶に投げ込み、その桶の上で、首を2本の金剛杖でかき回すのでした。この様子が、芋を洗う様子によく似ているので「芋洗い勧進帳」と呼ばれています。歌舞伎十八番である勧進帳の原形となった奇想天外なもう一つの「勧進帳」の場面です。