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風流 山形霞城血染の桜
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昭和57年
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風流 山形霞城血染の桜
昭和
57
年
8番運行
物語部門
風流
山形霞城血染の桜
落合町若連
囃子:
萩野囃子若連
出羽国山形城主最上義光は、斯波兼頼の十一代の末裔である、天正の初め父義守のあとを継いで最上氏の当主となった義光は慶長十九年六十九歳で没するまでこの地方に名を轟かせた戦国武将であった。山形周辺の豪族天童、高櫤、寒河江、左沢、白岩氏、などがその機をうかがっていた。義光は領内および周辺の対抗勢力一掃をはかった。天正五年まず天童を攻めた天童家中の勇士延沢信景を味方に引き入れることによって戦いを勝利に導いた。つぎに上の山を攻略した上の山城主上の山兼満は勇将でなかなか攻きれず和としょうして城内に呼び暗殺した。その時桜の下で戦い血が桜の木にいっぱいだったこと(旧山形三十二聯隊の庭に戦後も花が咲いていた)
昭和57年
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