新庄まつりとは

新庄の夏は新庄まつりでフィナーレを迎える

圧倒的なスケールで、見るものを魅了する新庄まつり。新庄の夏は、まつりの興奮と熱気でフィナーレを迎えます。 藩政時代の宝暦6年(1756)、時の藩主戸澤正諶が、前年の大凶作で打ちひしがれている領民に活気と希望を持たせ、豊作を祈願するために、戸澤氏の氏神である城内天満宮の「新祭」を領内あげて行つたのが起源とされています。

約260年前に始まったまつりはその長い時の流れの中で、少しずつ変貌を遂げてきました。しかし、いくら歳月を重ねても、変わらなかったものは、人々のまつりにかける情熱です。宵まつり・本まつりに絢爛豪華を競う日本一の山車パレード、古式ゆかしい神輿渡御行列、新庄城址で踊られる風雅な萩野鹿子踊・仁田山鹿子踊…。藩政時代をしのぼせる歴史絵巻が繰り広げられる新庄まつりは、この地に住む人々の心の風景に刻み込まれ、これからも未来に伝えられていきます。

わたしたちのまつり、故郷のまつり、新庄まつり。8月24日から26日まで、勇壮にして華麗な3日間。まつり囃子の響きがまちを包み込みます。

【8月24日】宵まつり

光と影が織りなす歴史絵巻に酔いしれる

各町内の若連が1ヵ月余りかけ、精魂込めてつくりあげた山車は、24日の夕刻、子どもたちに引かれて動き出します。歌舞伎の名場面や歴史絵巻を再現した山車に照明が入ると、人々を光と影が織り成す幽玄の世界へといざないます。

宵まつりは、灯入(ひいれ)式で幕を開け、その後市内南北両方面に分かれて出発した山車は、まつり囃子に乗り「チェレーンコヤッサー」の掛け声に合わせて進み、南本町十字路で合流します。そして、駅前通りを駅前広場「アビエス」に向かってパレードするとまつりは最高潮に達します。

▲沿道の観衆の歓声を受け、山車はアビエスへ向かいます。

▲寄せ笛を合図に宵まつりが始まります。

▲灯入(ひいれ)式が行われます。天満宮から御神火をもらい、その火を代表者に移す儀式です。

【8月25日】本まつり

神輿渡行行列と山車行列 まつりは最高潮に達する

8月25日の午前9時ごろに天満宮のご神体を神輿に移す神事が行われ、総勢200人余りの神輿渡御行列が戸澤神社を出発します。この古式ゆかしい行列に参加する氏子総代、各小頭などの面々は、この日ばかりは新庄藩の武士になりきります。

その後、いよいよ豪華絢爛の20台の山車が動き出します。パレードは駅前通りを進み、駅前広場「アビエス」へ。勇壮なまつり囃子に合わせた粋な法被姿の若連衆の掛け声が会場を包み、本まつりは最高潮に達します。

▲一番くじを引いた山車だけが城内から出発します。

▲一対の鋏箱を持つ足軽役2人の息の合った足さばきが必見です。

▲山車は、宵まつりとは違った表情を見せてくれます。

【8月26日】後まつり

本まつりの興奮が甦る!山車全20台が一同に展示

8月26日には、新庄市北部の萩野と仁田山に古くから伝わる民俗芸能「萩野鹿子踊」「仁田山鹿子踊」が新庄城址戸澤神社と護国神社に奉納される他、 平成24年「福興祭」、平成25年「燦踊祭」と近年は、新庄まつり交流事業と称して日本各地の伝統芸能を招いてのパレードが市内中心街で開催され、新庄まつりの熱気はまだまだ続きます。

その後、各町内山車小屋を出発した山車全20台が市内中心街に一同に集結する飾り山車、街中鹿子踊が開催されます。 そして、南本町十字路で手締め式が行われ、新庄まつりはフィナーレを迎えます。

▲萩野・仁田山鹿子踊が戸澤神社と護国神社に奉納されます。

▲鹿子踊と山車が市内中心街を彩ります。

▲手締め式で勇壮にして華麗な3日間に幕を下ろします。