風流 亀割り柴田

12番運行
物語部門

風流亀割り柴田

落合町若連囃子:萩野囃子若連

解説

元亀元年六月勝家が江州武佐長光寺に在城したおり、佐々木承禎や父子が江州甲賀より出勢して長光寺城を包囲した。承禎は、呼び出して案内をさせた郷民から城中が水に不自由して後の谷から掛桶で汲み上げている事を聞きつけ、この水手を阻む策に出た。城中の水不足が頂点に達して危機に瀕したとみるや、勝家は居間の縁に水を入れた亀を三つならべて士卒達に見せこう言った。
「城の水わずかこればかりなり。兵士の渇死疑いなし、未だ力のつかれざる内に城外に出でて必死の戦いを仕るべし」が兵士達はこの言葉に動する気配をいっこうに見せない。すると勝家は、いきなり三瓶を打ち割って、これを捨て、必死の志を示してみせた。翌十六日、城を出て戦いをまじえた勝家の軍は、承禎の旗本を切り崩し、群がる佐々木勢を討取った。世に「亀割り柴田」あるいは「鬼柴田」と呼ばれるのは、この一件によってである。
この時の戦功により勝家は信長から三万貫の領地の加増をうけた。
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