豊臣から徳川へ世が移ると佐賀藩は竜造寺から鍋鳥に変わった。臣下に落た竜造寺又一郎は母と共に家名再興を狙っていた。藩主光茂はある日碁の相手をさせていた又一郎と口論を起こし、一刃のもとに切殺した。又一郎の母は鍋島を呪い、懐剣で我が身を刺し愛猫「こま」に血を吸わせ「恨み重なる鍋鳥に仇をとれ」と託す。こまは光茂の愛妾お豊の方ののど笛を食いち
ぎって殺し、それに化身する。それから毎夜同じことがくり返され、光茂自身も重病の床につくようになる。そこで、藩士小森半左エ衛門は槍の名手干布本右エ門に光茂の身辺の見張りを命じた。本右エ門はお豊の方が怪しいとにらみ、ある夜半左エ衛門とともにお豊の方に切りかかった。お豊の方は怪猫と化し庭先に逃げるがついに半左エ衛門、本右エ門に退治されるというご存知鍋鳥猫騒動を山車風にしたものである。
ぎって殺し、それに化身する。それから毎夜同じことがくり返され、光茂自身も重病の床につくようになる。そこで、藩士小森半左エ衛門は槍の名手干布本右エ門に光茂の身辺の見張りを命じた。本右エ門はお豊の方が怪しいとにらみ、ある夜半左エ衛門とともにお豊の方に切りかかった。お豊の方は怪猫と化し庭先に逃げるがついに半左エ衛門、本右エ門に退治されるというご存知鍋鳥猫騒動を山車風にしたものである。