江戸時代前期、荒木又右衛門の妻の実弟、渡辺源太夫が、同藩の河合又吾郎に討たれた為、その弟、渡辺数馬が池田侯の上意討の内意を含み、仇討の旅に出た。又右衛門は妻の縁によって助太刀人として同行した。荒木らは又吾郎が河合甚左衛門、桜井半兵衛ら一行十数人を従え、京都から江戸に向うという情報を得た。そして、笠置越をした伊賀上野城下町と初瀬街道の分岐点「鍵屋の辻」で待伏せる。又右衛門と数馬ら数人は、茶店で又吾郎一行を待ち不意討ちをかける。そして見事に又右衛門らは数時間に及ぶ激闘の末、本懐を遂げた。「鍵屋の辻」から城下に至る道筋には町中の人々が群がり返り血を浴びた又右衛門の凄絶なる勇姿をほめたたえた。そして、この一件が世の評判となった。