江戸時代、新庄藩戸澤家火消組は江戸城を火災から守護する「方角火消」として活躍していた。しかし、財政難から破壊寸前となり、かつて「火喰鳥」と呼ばれた江戸随一の火消「松永源吾」に再建を託す。妻の深雪に支えられ、源吾は国元の鳥越宗家の火消方頭取並・鳥越新之助と共に、女のため身を滅ぼした軽業師・彦弥、異人の血を引く世をすねた学者・星十郎など、ボロボロになった人生を背負う男たちを集め個性的な火消組を作り上げる。「我らが守るのは江戸ではなく、江戸に生きる人々であり、そのためには恰好なんてかまってられねえ!」と、煤まみれになって戦う新庄藩火消の姿を見て、やがて人々は畏敬と愛着を込めて「羽州ぼろ鳶組」と呼ぶようになる。
本山車は江戸の三大火災のひとつ、明和の大火を食い止めるため、炎より熱い心意気で命を賭して炎と戦った新庄藩火消しが活躍する場面を表現しました。