薩摩から新庄へ 花嫁「桃齢院」

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薩摩から新庄へ 花嫁「桃齢院」

新松本町若連囃子:泉田囃子若連

解説

 薩摩藩島津家から新庄藩にお輿入れをした姫様がいます。島津貢子、後の十一代新庄藩主戸澤正実の母「桃齢院」です。貢姫は、薩摩藩八代藩主島津重豪の十一女であり、島津家から徳川将軍家に嫁いだ、天璋院「篤姫」の大叔母にあたります。
 貢姫は、天保元年十三歳のとき新庄藩十代藩主戸澤正令と婚姻し、江戸新庄藩邸に入りました。藩主正室となった貢姫でしたが、若くして藩主正令が病により死去したため、貢姫は落飾し「桃齢院」を名のりました。十一代藩主となった正実が幼年であったため、桃齢院が正実を補佐し、藩政に多大な影響力を及ぼしたといわれます。戊辰戦争で政府軍についた新庄藩が後に功績を賞されたことも薩摩島津家とのつながりと桃齢院の尽力が大いにあったのではないかと思われます。戊辰戦争後は、新庄の円満寺に身を寄せたと言われています。
 またお輿入れの際、花嫁道具として持ち込んだ島津家の家紋入りの雛道具が、現在も新庄ふるさと歴史センターに所蔵されており、島津家縁のひな人形等と毎年雛節句の折に展示されております。

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