本能寺の変 秀吉大返し

16番運行
物語部門

本能寺の変 秀吉大返し

末広町若連囃子:角沢囃子若連

解説

 天正十年五月、毛利遠征の出兵準備の為に上落していた織田信長は、本能寺に逗留していました。一方、羽柴秀吉への援護を命じられていた明智光秀は、六月二日「敵は本能寺にあり」と信長に謀反を起こしました。圧倒的多数の明智軍の前に成す術はありません。信長の姿は燃えさかる本能寺とともに、紅蓮の炎の中へと消えていったのでした。
 その頃、羽柴秀吉は毛利軍の拠点の一つ、準中高松城を水攻めにしていましたが、主君信長の本能寺の変での自害を知った後、速やかに毛利氏との講和をまとめ、城主清水宗治を切腹させ、水攻めの為の堤防を切って、毛利軍に後ろから攻められないようにして、主君の仇明智光秀を討つため、全軍を取って返し、約230キロの距離をわずか十日間で走り抜いたのでした。

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