一の谷で源氏に大敗した平家は、讃岐国屋島に内裏を置いて本拠とし強力な水軍を擁し瀬戸内の制海権を握っていた。源義経は屋島に攻め入り大群に見せかけるため民家に火をつけ内裏へと攻め込み、一進一退の攻防と休戦が繰り返される中、日暮れとなり休戦状態になる。平家軍より一艘小舟に美しい女性を乗せ竿先に扇をつけ指さし「射てみよ」と言わんばかりに近寄ってきた。義経はこれを外しては源氏の恥と思い畠山重忠に命じたが辞退し、那須十郎を推薦した。十郎は怪我が治っていないとし辞退し代わりに与一を推薦した。与一は承諾し、愛馬に乗って海へと進んだ、「南無八幡大菩薩。日光の権現様、宇都宮大名神、この一矢を扇にさせ給え。もし射損じたら腹をかき切って自害せん」と一心に矢を放った。矢は見事に扇の柄を射抜き空中に舞い上がり春風に揺られそっと海に落ちた。