風流 旭将軍木曽義仲「奇襲倶利伽羅谷の合戦」

10番運行
物語部門

風流旭将軍木曽義仲「奇襲倶利伽羅谷の合戦」

末広町若連囃子:角沢囃子若連

解説

平清盛が亡くなり源氏が台頭して来た寿永二年五月、平家は平維盛を総大将として七万の大軍で越後の国府に出陣中の木曽義仲の追討に向わせた。平家の動きを知った義仲は三万の兵を二手に分け、一方は源行家が率いて志雄山に、義仲は破波山に向った。倶利伽羅峠で対陣した両軍の戦いは一進一退で数日続いたが五月十一日夜半を期して義仲は近郷近在より牛を狩り集め、牛の角に松明を結び付け平家の陣に奇襲をかけた、そのため、平家の大軍は倶利伽羅谷で惨敗し京都に逃げ帰った、義仲は京に攻め入り平家を京から追い出し、自ら旭将軍となり、京都に源氏の旗があふれた。しかし、同じ源氏の源義経との戦に敗れ自からが京を出されるとは義仲はまだ知るよしもなかった。数ある源平合戦の中でもご存知倶利伽羅谷の合戦を山車風にしたものである。
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