町衆が山車作りに精を出している頃、
在方の村々では、若衆が集まり囃子の練習に励んでいます。
7月の涼しい夜、聞こえてくる新庄囃子。それを耳にして新庄人は、はじめてまつりを身近に感じ、その日の到来を指折り数えだす。新庄まつり当日、遠くに聞こえる囃子の音色に引き寄せられ、家人もまつり客も自然に通りまで歩を運び、山車の通過を待ちわびる。
そういわれるほど、新庄囃子は新庄人にとって大きな存在です。
新庄囃子は、花車大八という侠客が京都祇園祭りの囃子を基に作曲したと伝えられています。しかし、それをうかがわせるような古い史料や記録も少なく、ただ一つ、天保五年(一八三四)に編まれた「新荘御国産名物尽し」にある「川口祇苑(園)ばやし」(西前頭三七枚目)の記載があるものの、新庄まつりとの関わりについては不明で、いつごろ現在のような形になったかは分かっていません。
囃子の演奏技術はそれぞれの地域の秘伝であり、他の地域に持ち出すことができなかったことと、楽譜がなく口伝のため、それぞれ少しずつ異なったものになっています。
囃子方の構成は太鼓が4人、笛吹きが約15人、鉦が約15人、三味線が2~4人の30人~40人編成です。