野川家との関わり

野川家とは

現在、新庄まつりの山車は20台ありますが、その人形の頭、手、足の制作は全て野川家が手がけています。

100年以上にわたり、新庄まつりを支える。

野川家は100年以上にわたり人形制作をしている彫刻師の家系です。初代の野川北山は山形県尾花沢市に生まれ、東京で修行を積みました。その後、地元で彫刻家として活躍するとともに、文楽人形や人形芝居に使う劇人形の制作も行っていました。

新庄まつりに関わるようになったきっかけは、新庄の人々が初代野川北山の人形の評判を聞きつけて尾花沢市を訪ね「新庄まつりの人形制作を手がけてほしい」と依頼したことによります。後に初代野川北山は新庄まつりに魅せられ、明治38(1905)年に新庄に移り住んでいます。
その後も初代野川陽山、二代野川陽山、二代野川北山と野川家と新庄まつりの関わりは4代にわたり続いています。

初代野川北山の頃は人形を各若連に販売していましたが、新庄まつりの山車の出し物は毎年内容が変わるために人形を毎年購入すると各若連の負担が大きくなりすぎることから、人形を貸し出す形に変更となりました。

詳しくは、野川北山 公式ホームページをご覧ください。

野川北山 公式ホームページ