風流 真田太平記 幸村・家康 茶臼山の決戦

8番運行
物語部門

風流真田太平記 幸村・家康 茶臼山の決戦

落合町若連囃子:萩野囃子若連

解説

元和元年一月、家康は和睦の条件に反して二の丸堀の石垣の破壊を強行した。しかし其頃には徳川方十五万の大軍が大阪へ進発していたのである。幸村はこの時初めて真の義のために生き残る望みのない大阪城に残ったのであった。ただ家康の首だけをねらって阿修羅のように奮戦したが、次々と討たれて、ついに幸村自らも越前忠直の家来、西尾仁右衛門に討ち取られた…。
時に幸村は四十九歳であった。
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