風流 国盗り物語「本能寺」

11番運行
物語部門

風流国盗り物語「本能寺」

茶屋町鍛冶町若連囃子:萩野囃子若連

解説

織田信長から羽柴秀吉救援(毛利方と対戦し備中高松城を包囲中)を命ぜられた明智光秀は、天正十年六月一日夜半。丹波亀山城を一万三千の将兵を擁して発つ。進路をあえて東にとり老の坂を越え桂川を渡るに及び、光秀は大呼して「我が敵本能寺に在り。」と全軍を叱陀す。信長自らも赴援すべく京都四条本能寺に館す。翌六月二日早暁遙かに兵馬の声を聞き森蘭丸から光秀の謀反を知る。水色硬桔の旗幟既に寺門に迫る。信長「是非に及ばずしの一語をつぶやくのみ、白単衣を着、高欄に立ち出で弓を取って敵兵の寄せ来るを防ぎ、更に十文字の槍で奮戦したが、左右侍するもの百六十余人。事の為すべからざるを察した信長は、内に入る障子を閉じて端座暝目自刃して果てる。信長時に四十九歳。
織田信長の志した天下統一の覇業は、はるかなくも堂宇を包む紅蓮の炎とともに崩れ去った。国盗り物語掉尾の悲壮なる場面であります。
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