風流 蘭平物狂

3番運行
歌舞伎部門

風流蘭平物狂

馬喰町若連囃子:飛田囃子若連
1971_03_c

解説

本名題は、倭段名有原系図と言います。
宝剣紛失のため、須磨に流された。有原の行平はようやく許されて都へ帰り海女の松風を連れて来ました。奴、蘭平は、松風をむかえに行く役を言い付かったが奴、蘭平は、刃物を見ると気がおかしくなりあらぬことを口走り踊り狂うや舞いあがりました。そのためこの題を蘭平物狂いといって有名です。奴、蘭平とはかりの名で本名は、伴義雄と行って行平のため、ほろぼされた。主家の仇を討つ為気違いのまねをしていたのです、だが行平の為見現され大勢家来に取り囲こまれる蘭平の子供繁蔵は、行平の命令で父親に十手を向けてたち向うがあんあいの情にかられなわをかけかねて居ると蘭平は我が子の手がらをさせようと決心、盗んだ宝剣を行平にかえし我が子のなわにかゝると言う物語。明治維新の大立物木戸孝允名桂小五郎の愛人幾松之はれっきとした武士の娘でしたが、事情で浪人した父を救うため芸妓になった学問も有り才智もすぐれた人でした。国事奔走中の桂が乞食のなりをして二条大橋の下に居る所を助けたのを縁となり小五郎の為に尽す。
やがて維新の夜明け幾松ははれて木戸孝允夫人となる。
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